おこうこのジャコ煮

おこうこのジャコ煮は滋賀県に伝わる郷土料理です。こうことは漬物のことで一般的にはたくあんを指します。漬かりすぎて酸っぱくなったり色が悪くなったたくあんを、ジャコやカツオ節と一緒に煮るめずらしい料理で、物を無駄にすることなく美味しく食べる知恵から生まれた節約料理です。同様の料理は京都府や福井県などでも作られ、「たくあんの炊いたん」「ぜいたく煮」「おもくじ」などと呼ばれています。

朴葉味噌

朴の葉に味噌といろいろな食材をのせ、火にかけて焼きながら食べる朴葉味噌は、岐阜県飛騨地方に伝わる郷土料理です。三年続けて食べると身上がつぶれるといわれるくらい、食が進む名物料理です。飛騨地方の山林ではうちわほどの大きさ朴の木が自生しており、これを陰干しにして保存し使用します。冬の寒さが厳しい飛騨では、漬物樽の漬物が凍ることもしばしばで、本来は凍った漬物を朴の葉にのせ、囲炉裏で焼いたのがはじまりと伝えられています。漬物を焼いて食べるという食文化は飛騨地方限定といわれ、今では居酒屋のメニューとしても登場するほどポピュラーになりつつあります。

笹寿司(謙信寿司)

笹寿司は長野県に伝わる郷土料理です。①川中島に出陣の謙信勢の兵糧だった、②謙信が遠征してきた時に住民が献上したなどの言い伝えから、別名「謙信寿司」とも呼ばれています。一口大にまとめたすし飯に具をのせて笹で包む(あるいは笹の葉の上にのせる)形と、箱寿司風に作る形があります。使われる具はさまざまですが、卵や生の青み野菜は日持ちが悪いため、すぐに食べる時だけに使うのが無難です。殺菌作用に優れた笹の香りがほのかに漂う保存性のあるお寿司です。

釈迦こごり(釈迦っこごり、釈迦つむり)

釈迦こごりはお釈迦さまの誕生を祝う花祭りに作られる山梨県の郷土料理です。米の生産量が少ない山梨県では、「お練り」「ほうとう」など小麦粉を使った料理が多く、この釈迦こごりも小麦粉を使って作るのが一般的です。こごりは「塊」の方言で、「丸める」という意味で、お釈迦さまのゴツゴツした頭を模して小さな団子に丸めます。煎り大豆の香ばしさと食感が後を引く美味しさです。

べろべろ(えびす)

べろべろは石川県金沢の郷土料理です。「べっこう料理」「えびす」「えべす」「はやえべす」などと呼ばれ、酢れんこんやお多福豆などと一緒に盛り合わせて供されるハレの日の料理です。溶かした寒天に卵液を流し込んで作るため、「卵のべろべろ」とも呼ばれています。加賀地方には「祭りを届ける」というつきあいを大切にする風習があります。これは祭り料理を家庭だけで楽しむのではなく、たくさん作って親戚縁者や知人に配り、一緒に祝うというものです。べろべろは祭りや正月などのハレの日には必ず作られ、親戚縁者や知人に配られます。スーパーのお惣菜としても売られている人気の高い身近な郷土料理です。

おでん

関西では「関東だき」と呼ばれるおでんは、東京の郷土料理です。おでんは煮込み田楽の略で、現在のような煮込みおでんが誕生したのは江戸時代後期、全盛になったのは明治時代といわれています。しょう油で染めたように色濃く作るのが東京生まれのおでん。具がつゆから顔を出さないよう、たっぷりのつゆで温めるような気持ちで煮ていきます。沸騰は厳禁。おでんにはちょっと熱めの熱燗と茶飯がつきものといわれています。

下仁田ねぎのぬた

群馬県下仁田地方が主産地の下仁田ねぎは、普通のねぎに比べて軟白部がもっとも太くて短いのが特徴です。肉質はやわらかく、ほのかな甘みを持ち、味がよいため昔から高品質のねぎとして知られています。この下仁田ねぎで作るぬたは、家庭ごとに混ぜ合わせる食材に工夫があり、ポピュラーな家庭料理として食卓によく登場します。

きらず餅

高知県佐川町尾川で昔から作られていたおから入りの餅です。きらずとはおからのことで、もち米に同量のおからを混ぜ込んで搗き、中に餡を入れて丸め、周りにきな粉をまぶして作ります。佐川地域は江戸時代、土佐藩山内家の筆頭家老深尾和泉重良が豆料理の文化を持ち込んだと伝えられ、納豆や豆腐などの豆料理が日常の食生活に溶け込んでいる地域です。どの家庭でも正月前には必ず豆腐を作り、その時にできるおからで餅を作って豆腐同様、正月に食べていたと伝えられています。きらず餅は3日ほどはやわらかいままで食べ、それ以降は焼いて食べるといわれています。

タイ味噌

徳島県南部の海岸地帯は黒潮が運ぶ海の幸に恵まれている地域です。ここではタイをまず刺身や切り身で食した後、切れ端や骨についた身をキレイに取り、味噌や砂糖を加えてタイ味噌を作ります。タイ味噌はなめ味噌の一種で、そのまま副食用としてもちいられる味噌です。そのまま酒の席に出され、またきゅうりやうどなどにつけて食べられます。タイの他、アカウオやメバルなどでも作られます。

衣笠丼

油揚げとねぎを卵で閉じて作る衣笠丼は、京都で生まれた京都ならではの丼です。衣笠山は、第59代宇多天皇が真夏に雪景色の衣笠山を見たいと望み衣笠山に白絹をかけたという故事から、別名「絹かけ山」とも呼ばれています。卵で閉じた丼の姿が白絹をかけた衣笠山の姿に似ていることから、衣笠丼と呼ばれるようになったと伝えられています。同様の料理を大阪では「キツネ丼」と呼び、油揚げの代わりにかまぼこで作られる丼は「木の葉丼」と呼ばれています。